夜這いは風習として当たり前だった

yobai

「夜這い」について、皆さん一度は聞いたことがあるけど半信半疑。実際のところはどうなのかよく分からないという人が多いのではないでしょうか。

 

端的に言うと、この夜這いは昔の日本で風習として確かに行われていたのです。嘘のような話ですが、掘り下げて調べていくと大正時代までに、主に農漁村地域で、なんと村ぐるみで行われていたのです。一応繰り返しますが、「夜這い」が公然とされていたわけです。

 

地域によって違いはあったようですが、基本的に男性は15歳ぐらいになると、自分の住む農漁村のルールを教える若者組というところに所属します。そしてそこで、一般的な土俗的な教育を学び、村の警護も任されます。村の人々と共同作業を通してより団結力を強めていき、更にそこでは、驚くことに「性についての実践指導」も行われていました。

 

15歳そこそこでは未だ童貞です。そこに来ての実践指導ですからかなり無茶苦茶ですね。しかも相手は誰かと言うと、後家と呼ばれる未亡人であったり近所に住む主婦などまちまち。初体験の相手を選ぶことも出来ず身を任すのみ、という今で考えれば人権を無視したかなり乱暴な教育が為されていたのです。

 

では、女性に関してはどうなのか。それがいわゆる夜這いです。大正時代までは、ひとりではなく数人の男性と性交をするのが風習とされていたようです。とは言え、これは田舎の農漁村で見られたものですから、日本全国をひと括りに捉えるのは語弊があります。

 

一部の地域で夜這いは当然のものとして行われていたわけですが、こうして全体的に見ても男女問わず、当時は性に関してはおおらかな価値観だったことが分かります。

 

 

飛騨白川郷の合掌造りにある夜這い用出入り口

おおらかな価値観とは言ったものの、よくよく考えるとやはり常軌を逸しています。なぜならこの夜這いは、未婚の男女のみでなく既婚者も参加しているケースがあったと言うのです。各農漁村で定めたルールの中でそれは公然と実施されていたようですが、その事実を知ると若干気分が滅入ってしまいます。

 

良く言えば、性が広く開放されていたともいえますが、フタを開ければ「田舎の村で展開された乱交」のようなもの。しかも当時はこれが犯罪などではなく、古くから村に伝わる風習という最もらしい言い方でまかり通っていたわけです。

 

それを知る具体例が、世界遺産にも登録されている、あの飛騨白川郷の合掌造りです。この建造物には、夜這い用に設けられた出入り口があるのは有名な話し。つまり、建物にそれ専用の作りを用意するほどに当たり前だったという事実を、歴史的建造物が明確に物語っているのです。

 

 

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